現代精神の方向
便利な言葉

日本語で消化不良というのはわかり易い言葉ですが、フランス語ではDyspepsieという、ギリシャ諮から来た難かしい一言葉で表わします。このDyspepsieという語について、昔スイスにいた時、ある有名な医者に質問してみたことがあります。「あちこちの薬の効能書に見られるこのDyspepsieという言葉のほんとうの意味は一体どういうことなのですか」と聞くと、ドクトルは苦笑して「いや、これは何にでも応用の利く便利な言葉でね、実をいうと、これはわれわれ医者どもが自分の無知をごまかすために発明した一言葉なんだ」と答えたものです。
考えてみるとこれは医者の.世界に限ったことではない。こういう意味で世間に愛用されている言葉は、いろいろあるような気がします。ことに現代人のよく持ち出す便利な言葉の一つは、運あるいは偶然という諮ではないかと思うのであります。

詮じつめれば、運とはいったいなんでしょうか。つまりは、われわれの無知を蔽い隠すために出来た都合のよい言葉といえるようです。運が良いとか悪いとかいう表現を分解すれば、この中ではっきりしているのは良いと悪いという形容詞だけのようです。

私の不思議に思うのは、運とか偶然とかいう凝然たる言葉を最も愛用するのが、科学者たちであるということです。およそ科学的精神は、すべてをはっきりさせようとするものであります。一つの現象にぶつかると、それを一つの結果と考え、それの原因を探究しようとする。そして、万事に因果関係を求めてゆく。けれども、結果のあるところに原因がある、ということは確かでも、いくら求めても原因がはっきりしない問題は、この世の中に無数にある。そういう場合に科学者は偶然という便利な言葉で問題を片附けてしまうようであります。科学者というより、現代の精神を代表すると自任する科学万能主義者というべきでしょう。なぜなら、真に科学者の名に備するような人々は、特に近代のすぐれた科学者は、物の判断において慎重であり、真理に対して謙譲な態度をとるようになって来たからであります。たとえばアンリー・ポアンカレのような偉大な学者は、科学の征服した領域と神秘の領域との割合を比較してこういっています。既知界を一つの円にたとえれば、未知界、神秘に属する領域は、その周開全体にたとえられる。科学が進歩して、知識の鮒聞の円が大きくなれば、それにつれてその周辺の神格もますます大きくなってゆく、と説いているのであります。

この世の中の万事を物質的な尺度で計ろうとせずに、人聞に内在する精神以上の大いなる精神的存在を信ずる者は、科学を超えた世界にあてはめ得る、科学を超えた尺度を持っているわけであります。もっとも、信仰を持たぬ人にとっては、神の摂理というのも偶然というのも、同じように漠然とした言葉かも知れません。しかし少くとも摂理という言葉には、機械のように冷たい偶然という一語よりも、世の中を明るくする光明が含まれているといえるでしょう。

「事実は小説より奇なり」とか言いますが、世の中にはまったく思いがけない事がいろいろあるものです。不思議な経験も一度や二度なら、いわゆる偶然で片附けてもよいがと、偶然も忙がしくなりすぎて、皆偶然のせいに押し附けるには気が引けるほどにな ります。私の経験したいわゆる「偶然というにはあまりに不思議な」数々の出来事の中でも、ちょっとした小説になりそうな思い出があります。

もうざっと二十年も前のことです。私の属している会の会長が日本に視察に来た帰りに、私はそのお伴をしてシペリヤ経由でフランスヘちょっと行くことになりました。まず満州に行き、いよいよロシアを横断する長い汽車旅行にかかるに当って、途中の食物を充分用意したほうがよい、と人にすすめられたので、私はハルピンの街でその買出しに出かけました。ある白系ロシア人の店で罐詰だの果物だの一週間分の食糧を買い込みましたが、買物が終ると、店の主人はあらたまって私に向って、ひとつお話したい事がある、といい出しました。実は、長い旅行をするお客と見れば、この話をするのだが、あなたにもぜひ自分の身の上話を聞いていただきたい、と前おきして、こんな話をしだしたのです。

自分は元はロシアで相当な暮しをしていた者だが、革命のため、こういう処に落ちのびて来た。ここに逃げて来るについては、われわれ一・家はかけがえのない犠牲を払った。家族一同で東に向う汽車に乗り込んだのだが、ある駅で自分の小さい娘が水を飲みたい之いうので、弟が、つまり子供の叔父にあたるのが、手をひいて降りた。降りたとたんに汽車が動き出して、それきり大事な娘と弟と生き別れになってしまった。その時のわれわれの気持を察していただきたい。満州に落ちついてからも、八万手を尽して探したが、二人の行方は皆目知れない。
あれからもう十五年になるが、どうしてもまだ何処かに生ぎているような気がして、再会の望みを捨てることができない。これから長い旅をなさる間に、もしや何処かでこういう苗字の人間に出会ったら、どうか教えていただきたい、といって名刺を差し出します。私は承知して、その娘さんの名前も聞いてそこに書き留めました。

まったく世の中には同情すべき悲劇があるものだ、と思いながらその店を出て、ついでに街を見物しました。ある大きな教会を訪ねてみると、入口のところで一人の娘さんが、妙にじろじろ私を見ています。ふしぎに思っていると、相手は勇気を出して近づいて来て、東京のカンドウ神父ではないか、と聞きます。そうだと答えると、私は十年前東京で教育を受けたヴェラ・ゴロシコアです、と名乗ります。そういえば、自系ロシア人の少女で私の関係していたある小学校に学んでいたヴェラという子がありました。立派に成人したものだ、と感心しましたが、一別以来のこと、ハルピンでの暮しなどあわただしく話してから、明日出発するその汽車時間は何時か、とたずねて、翌日あらためて駅に送りに来てくれました。そして列車の窓から小さな紙ぎれを渡して、ここに自分の友だちの名が書いてある。この人は今パリで凶際学生会館のような処で勉強しているとうわさに聞いたので、もし折があったら訪ねてやってほしい、との頼みです。私はよろしいと引き受け、互いに幸福を祈って別れました。

さて、道中無事にやがてパリに着きましたが、私はすぐ出迎えの兄に、国際学生寄宿舎のようなものがあるかをたずね、サン・ミシェルのあたりと教えられて、翌日さっそく行って見ました。門番に、こういう名のロシア人はいるかと聞くと、どうもこの連中の名は難しくてかなわない、この名簿で探してください、とリストを貸してくれました。調べてゆくと、ヴェラの友だちの名は簡単に見つかりました。その時ふと思い出して、例の食糧品店でもらった名刺を出して、もしやと、ついでに調べてみると、まさにそっくり同じ名があるではありませんか。すぐさまその名の人を呼んでもらいましたが、この会見の有様は御惣像にあまりある感激的なものでした。思いもよらぬ時に、もう死んだと思っていた父親の話を聞かされたのですから、夢かと驚いたのも無理はありません。
最初のショックから立ち直るとこの娘さんは、これまでの身の上を話してくれました。かいつまんで申せば、例の汽車に取り残されてから、彼女と叔父とは反対の方向に行く汽車に乗せられてしまい、とうとうポーランドに溶ちつくことになった。彼女は特に音楽の才能に恵まれていたので、叔父はあらゆる苦労をしてウィーンに留学させてピアノを習わせた。つぎにローマに連れて来て仕上げをし、いよいよ一人前のピアニストとなったところで、叔父は責任を果した安心のためか、永年の疲れが出て、亡くなってしまった。一人ぼっちになった彼女は、芸術に生き甲斐を求めてパリに来ていたのであった。ふたたび家族を見出した今、人生はあらたに光明と意義に満ちたものと見えてきた……と諮る彼女に、私はあの食頼品店で買ったりンゴの残りを記念に贈って、別れをつげたのでした。
その後、この幸福な親と子が一枚の紙に名を連ねて共に暮す喜びを書き綴った手紙を、東京で受け取ったものでした。あれから世界をかき乱した戦争のおかげで、この人たちの消息もわからなくなりましたが、何処かで引き続き幸福に暮していることを祈っているのであります。
今度の戦争のため、ばらばらに引き裂かれた家族の統計をどこかで見ましたが、実に莫大な数でした。どれほど多くの家庭悲劇が、人間の暴力の結果惹き起されたことでしょう。やがての目、幸福なめぐり会いを生涯の希望とする人々にとっては、どれほど根気よく願い希望しつづけても、単に冷たい偶然の傍倖に望みをかけるよりほかないとすれば、人生はあまりに暗い絶望的なものとなるのではないでしょうか。
お互い人生にいくらか光明を増すためにも、現代のともすれば物事を冷たい物質の物さしで割り切ろうとする科学偏重の精神に、真の科学者のごとく、神秘の前に謙譲なれ、といいたいのであります。

伝統の再吟味

霧といえばロンドン、ロンドンといえば霧というように、霧はロンドン名物として知られています。英国人にいわせれば、これは実にロンドンの魅力のひとつをなすもので、ことに日暮れがた、ロンドン全市が黄金の輝きをもつ銀色のショールを掛けて、遠くの建物など夏目激石の名句で表現されているように「遠き未来の世を眼前に引き出したる様に、窈然たる空の中に取り留めのつかぬ鳶色の影が残る」ように見える時、なんともいえぬ風情があるらしいのであります。
しかしロンドンの霧も年中こういうロマンチックな霧ばかりとは限りません。昨年の冬ロンドン人は、当分忘れられないような霧に出会ったのであります。なにしろそのために二千の人命が失われ、日本でいえば何十億円という損害が生じたのですから、なま易しい経験でなかったことと思われます。
あちらの雑誌の報ずるところによれば、その日は朝から深い霧が冷たい毛布のように全市を覆って、人々はまるで見知らぬ国を手探りで行く有様だったそうであります。いつもやかましい都会の騒音、自動車の警笛なども、綿でくるんだようにくぐもって聞える。パスや自動車は、一時間三キロのスピードで牛のようにのろのろ進んで行く。皆で十五台二十台とグループを作ってぞろぞろ行くことにするが、たまにしびれをきらしたのが先に飛び出すと、じき後悔しなければならない。なぜなら孤立するやいなや、全然道の見当がつかなくなってしまうからです。
多くの運転手があきらめて車を道にほうり出したまま行ってしまうので、大通りはますます混雑してくる。ある旅行者は南の駅で降りて、北の駅まで行くのに、まる一日かかってしまった。なぜかというと、タタシーの運転手と相談して、荷物だけ車にのせて、自分は車の前に立って、道を透かして見ながら「オーライ、オーライ」といって進んだからだそうです。車も人間も迷子になるものが続出して、だれもが地下鉄を利用することを思いつき、各地下鉄駅はまたたく間に地上まで人の波が押しかえす騒ぎとなり、瞥察はとうとう人口を閉鎖してしまった。

ところで時が経つにつれて霧はいよいよ濃くなる。午前中は汚れた白っぽい色だったのが、方方の工場の煙突や家々の屋根から出る石炭の煩が加わって、だんだん黄いろくなり、茶色になり、ついに真黒になって来ました。それが鼻や喉に入るので誰も彼も咳をしはじめました。普段ならちょっとした風が起れば、震は間もなく散るのですが、この日に限ってそよとの風もないので、震はいつまでも霊く地面に垂れています。
一番苦しく感じはじめたのは、喘息の病人、それから肺の弱い者、そして老人たちでした。午後からはあらゆる医者の処にひっきりなしに電話がかかって来はじめました。しかし医者のほうもうっかり外に出ると迷子になるので、たいがいの者は診療室に腰かけたままで、電話でああしなさいこうしなさいと指図していました。
ある御夫婦は地下鉄から昇って来た交叉点で、家に帰る方角がわからず、それこそ途方に暮れていました。すると一人の見知らぬ人が近づいて来て「どちらへおいでになりたいのですか」とたずねます。そこで家の番地を告げると、その人は二人の先に立って、少しも迷う様子もなくずんずん導いて、まぎれもないわが家の一戸口に連れて来てくれました。御夫婦は大喜びで代るがわる礼をいうと、相手は、なんでもありません、といいます。「でもどうしてこんな一寸先も見えないような中を、そんなに楽々とお歩きになれるのですか」と不思議に思ってたずねると、親切な人はちょっと得意な顔で「実は私はめくらです」と答えました。そうしてまた困っている人を助けるために、どんどん行ってしまった。このようにしてこの盲人は、一日中、動きのとれない目あきどもを楽しそうに導いて、彼らの役にたたない目の代りを務めてやったということです。
こんな日でも、大都会だけあって、劇場は蓋を開けましたが、オペラでは「椿姫」の第一幕を始めたけれども、劇場の中まで侵入して来る霧のため、コーラス団は指揮者の棒が見えなくて、とうとう歌劇は中止してしまった。映画館では前から五列目までしか両面が見えないので、これも商売になりません。
あくる日は日曜でしたが、霧はますます濃くなって二十五センチ先は見えない。つまり腕をのばすと自分の手が見えないわけです。交通は一切杜絶して、町全体は死の沈黙に閉ざされたよう。道のあちこちに、方角を失った人々と夜の寒さに凍え死んだ死休がうずくまっています。足元が見えぬために川に落ちた者も大勢ありましたが、叫び声は聞えても姿が見えないので助けることも出来なかったのでした。霧は翌日の昼からやっと晴れはじめたのですが、調べによると、この二日間で死んだ人聞は二千五百人ありました。病気が悪くなった人などは、むろん数え切れなかったでしょう。
さて、こうした災害の原因は何にあったのでしょうか。天災として唯あきらめねばならぬ種類のものだったでしょうか?ν濃霧というものは、自然現象でほとんど避けられたいものでしょうが、人に害を及ぼす真黒な霧の発生は、人間の手で避けられるはずのものであります。専門家の調査によると、霧を黒くするのは、工場の煙よりもむしろ英国人が一般に愛用する石炭ストーブの煙である、ということであります。ロンドンの八百万人の住民のうち二百万人が、ストーブから真黒な雲を吐き出させている。だいたいこのストーブ自体が理想的なものでなく、完全燃焼をしない非衛生的なものなのですが、ともかく八百年も前から続けている暖房装置なので、英国人はどうもやめる気になれないのだそうであります。

この話からまず考えさせられたことは、善きにつけ、悪しきにつけての、伝統の力というものであります。一国の伝統が国民の生活に大きな力となって影響を及ぼすことは否定できないが、それが建設的なカとなるためには、合理的なものでなければならないはずであります。この点、あらゆる国に不合理な伝統が巾をきかせている例が見られるのではないか、と思います。イギリスに劣らず保守的なフランスにも、ずいぶん妙なこの黒い霧に似た現象があるのですが、日本でも、こういう古いストーブに愛著して社会の空気を重苦しくしているようなことはないでしょうか。なんとなく連想させられることを二つ三つ、御参考までに申上げて見たいと思います。

よく外出人から、日本語の中で外国語に訳せない言葉は何か、と聞かれるとき、私は「それは義理という言葉だ」と答えます。実際この義理という言葉の含むところを言い表わすには、十七八単語をならべなければならないような気がするからであります。義理によってなにかがなされる時、それは無論長い伝統に培われた美しい心の発露が中心となっているのでしょうが、近ごろはそこに、習慣的な虚礼的な皮が多くかぶさってきた必うに見受けられるのであります。
贈物のやりとりや挨拶の交換などでも、内容より形式のほうが主になっているような気がします。いくつもの名刺の剥がれた跡のあるお菓子の折を見たり、この位の古さならまだっかい物になる、などというやり繰りの上手な人の言葉を聞いたりすると、これは一体人を喜ばせるためであろうか、それともこの位ならまさか腹をこわすこともあるまいと、たかをくくっているのであろうか、と不思議な気がするのであります。道で御婦人同士が挨拶するのも、背ならともかく、今のあわただしい往来のまん中で何度もお辞儀をされては交通の邪魔になるし、寒いときに肩かけもはずして深く頭を下げる相子に、通り抜ける自動車がその肩かけをさらって行きそうになったり、見ていてもはらはらすることがあります。
また友引などはつまらぬ迷信だと噴うような、知識人をもって自任する人が、せっかくの娘さんの縁談を、年廻りが悪いからと破談にさせたりする、こうした例なども不思議な伝統への忠実さと考えさせられます。また、家を新築したり建憎しするのに、万角が悪いからといって、南を避けてわざわざ暗い非衛生な部屋を造るという例も、家風や伝統に忠実な行き方かも知れませんが、健全な理性の批判に及第するやり方とは思われないのであります。
要するに、伝統は尊いものであるけれども、それが、人格の発展と社会の進歩に貢献する時にのみ尊いものである、というわかり切った事柄を、他山の石………ならぬ他国の霧の話のついでに、お話ししてみた次第であります。

人類は行き詰るか

現代人にとって、この地球はだんだん小さくなるような気がするのではないでしょうか。あらゆる技術の進歩によって、人類の活動している舞台は、ますますよく見わたせるようになって来たようであります。背は外国といえば、速いよその世界のことで、そこにどんな人が住みどんな事が行われているか、知りようがないと思われていたものです。つい二十年前でも東京をちょっと離れた田舎で「フランスに畳があるか」ときかれたことがありました。そういう物はない、と公問えると、まあ気の毒に!と真剣に同情されて、按拶に困ったものでした。つまり畳がないとすれば、土を固めた土聞に暮しているのだ、と思われたのです。またフランスに帰れば「日本にも汽車があるか」などときかれて、あきれたりしたものでした。このごろではこんな愚問をする者は居なくなりました。それどころか、東京にちょっと何年ぶりかの大雪が降れば、すぐフランスの新聞やラジオで報道され、四五日後には航空便で.賓の見舞を言ってくるような有様です。ともかく、技術の進歩のおかげで、現代人には孤立主義は許されなくなった、といえるようであります。

以前ムッソリーニが大見得を切ゥて叫んでいた”L`Italia faradase”(イタリアの事は自分たちでやる〉という言葉も、今ではイタリー人の間でも笑い物になっています。今や、どのような問題も、深く傑究すれば、結局人類としての連帯責任、現代人の運命の共通性を、痛切に感じさせるものとなるのであります。

もちろん個人にしても国家にしても、それぞれ自分の問題を先じ考えるのは自然であります。
しかしよその問題に無関心であることは許されない。他人の事に冷淡であれば、たちまち孤立のうちに動きがとれなくなり、自分の問題も解決できなくなります。現代の文明人たる資格をもつしるしは、全世界の出来事に対して(やたらに好奇心をもつことでなく)ある程度まで責任を感じることにある、と思うのであります。
更に考えさせられる現代の特徴は、今の世界の問題の解決は、決して一つの種類の人聞に委せるわけに行かない、ということであります。すなわち、解決できるのは政治家でもなければ、哲学者、経済学者、科学者でもない、宗教家でもない、まして独裁官でもありません。全世界が望んでいるのは、社会の劃一化ではなく、社会の統一だからであります。劃一化は雑多性を抹殺するが、統一は雑多性を前提とするものであります。複雑に交錯する現代世界の諸問題を解決するには、善意あるすべての人の協力をまたねばならぬのであります。

近来、人類の将来を論じた本がいろいろ著わされていますが、それらの考察を読みくらべてみて、感じたことは、どうも経済学者が数学者の眼鏡で問題をみる時、最も悲観的な結論が出てくるようだ、ということであります。

同じ呑みかけの酒瓶をみて、楽観論者は「まだ半分もはいっている」といい、悲観論者は「もう半分もカラだ」というそうですが、有名な経済学者ウィリアム・ヴォクトの世界の饑饉という題の本は、こうした悲観的な見方で一貫しているのであります。著者の断言によれば――百五十年このかた、アメリカでさえあの尨大な土地の三分の一を使い荒してしまったし、ヨーロッパも土地は荒れる一方、日本にいたっては、二十五年来貧しくなるばかりで、フランスの面積の三分の一しかない国土でフランスの人口の倍も養わなければならない。日本という国は、いわば窒息に対する抵抗の奇蹟のような存在だ、ということであります。ことに、インドの民衆を悩ます饑餓を分析して、その原因として十二の事実を指摘し、この状態は悪くなる一万で、全然教済の見込みはない、とまでいっているのであります。
しかしヴォクト氏に反対する楽観的な学者たちは、このいわゆる致命的な十二の原因の中でも本当に解決困難な問題は、ただ一つ、十二番目の現由だけだ、といっています。その十二番目の理由とは何か、といえば、それは人口の自然増加という事実であります。(この問題はまたあとで触れることにしますが)その他に、反対論者たちは、ヴォクトは人間の知恵とこの地球の蔵する種々の可能性をあまりに戦く見すぎている、と批判しています。日本はなるほど狭苦しいが、それだけに知恵を絞って最大限の生産の率を上げている。年に四百五十万トンという野菜果物の生産は、それこそ奇蹟的ではないか、英国も戦争中海の閉鎖で苦労したおかげで、必要な食物の五分の四は国内でまかなうようになり、開妬された地面は六十パーセントも増加した。

また北極圏の北の地方でも農作は次第に可能となり、タミール半島やさらに北の地方でも、一種の馬鈴薯が一ヘクタールについて千キロもとれる。ともかく、目下人類が耕作に利用している土地は、耕作し得る土地の八分の一に過ぎないのである。
それに人間の知恵ももう行き詰まったわけではない。毎日のように驚くべき新発明がなされる。たとえば、ヴォクト氏はもうじきなくなると耕作地の欠乏を心配して居られるが、その土そのものの無いところで植物を生やす万法も発明された。最初はデュアメルというフランス人が、ガラス瓶の中に鉱酸塩を入れ、そこで植物を生育させた。最近ではアメリカで、牛に食べさせる牧草を化学装置によって六日観で生やすことに成功し、”魔法の草”とか”移動牧場”などと呼ばれて評判になっている。そのうちにはもっと有効な発明も加わることだろうから、ヴォクト氏の神経衰弱的な心配は御無用だというふうに反駁しているのであります。
デ・カストロという経済学者は、世界の飢餓の問題は、つまりは生産よりも分配の問題である、といっています。またフランク・ブートルーという学者も同じように、われわれは食物を作り出す点においては大いに成功したが、それを合理的に分配する点では、成功したとはいえない、と指摘しています。そうとすれば、今の人類に提出された課題は、食糧問題を世界的尺度によっていかに解決するか、ということになるでしょう。

また人口問題については、やはり経済学者のうちに、天文学的な数字をもてあそんで人を驚かすような悲観主義者がみられるのであります。たとえば、現在一つの家庭に平均三人の子供がいるとして、自然憎加にまかせれば、あと五百年たたぬうちに、この世界の人口は二千億になる、すなわち八十メートル平方に一人住む見当である。ところが紀元三千年ともなれば、人口は十億の百万併となり、いわば、北極も南極も含めていたる処に六階建ての家を建て、一メートル平方に六人の人間を閉じこめなければならないようになる、などというのであります。
しかしながら、こういう考え方はやはり一方に偏したものといわなければならないでしょう。生命の世界を支配する法則は、数字だけで出来ているのではないからであります。人間はただ盲滅法にネズミ算で増えて行くものではないのであります。現在アフリカ大陸で土人のいくつかの施族が消滅しつつあるのが認められています。何か神秘な原因によって、民族全体が不妊症にかかったようで、もう子供が出来ないのだそうであります。また歴史をかえりみれば、盛んであった民族が全くこの世から姿を消した例は、決して少くないのであります。

結局、合理的に物事を考える現代人としてわれわれに言えるのは、千年先の地球の有様を想像して、蛾塚のように人間が重なり合ってうどめいている様を描いたり、耕すべき一片の土地もない有様を思いうかべたりする代りに、もっと建設的な目で現状を見直すべきではないか、ということであります。現在、人が住みうる土地はまだたくさん余っている。地球上で利用されているのは、耕作の可能な土地の八分の一に過ぎないという。それなら解決法は、全人類の運命という大きな面からみれば、明白すぎるほどはっきりしている。すなわち、土地のない人聞が、人間のいない土地を耕す権利をもつことを、皆が認めればいいではありませんか。
一つの狭い国に人口がふえて因る時は、解決法としては、国内で始末する、つまり産児制限法などで調節するか、あるいは国外に活路を見出す、つまり移民政策にたよるか、のどちらかが考えられるわけでしょう。第一の人口調節は、一言にいえば、これは国の生命を自ら弱める一積の民族的自殺行為となりがちなものであります。一国が孤立することが許されぬようになった世界情勢からみても、自然なのは、他国と提携しで行くことであります。人類大家族の一員として、他国の兄弟と手を取り合うに足るだけの民族的長所を発揮し、それを他に認めさせることが、自然法にかなった有効な民族繁栄の道であります。
二百年前フランスから移住した人々によって作り上げられた仏領カナダは”新フランス”と呼ばれて、フランス人カナダ人の誇りとして栄えています。せっかく豊かな生命力に忠まれた日本民族は、あちこちに新日本を建設するようになり、それが人類大家族の各兄弟から喜ばしい目で見られるようになりたいものであります。そして、日本人がその勤勉という生来の長所を発揮することによって、世界の行き詰りを打開する大原則――土地のない人間が人間のない土地を耕す権利――を全世界に認めさせる機運の一つを作ってほいものであります。

不安について

以上、現代精神のいくつかの方向を考察してみましたが、さらに現代人の心に大きな位置を占めている不安というものをも取り上げなければ、現代を判断する上に一つの重要な.要素を見逃すように思えるのであります。
現代はたしかに不安の時代であります。これは、・あらゆる国のあらゆる階級に万遍なく行きわたっている気持のようであります。しかしこれはある意味で、人類全体が進歩した証拠かもしれません。太古の原始人は、目前に現われたはっきりした危険におののいたことはあったでしょうが、現代人のように、わけのわからぬ、分析もできぬ、息苦しい雲のように前方におしかぶさっている、こうした漠然たる不安を感じたことはなかったにちがいありません。犬や猫のような動物は、恐怖は感じるけれども、不安を感じて神経衰弱になったり憂慢になったりすることはないようであります。してみれば、不安は思考力をもっ者だけの抱く特権的感情といえるでしょう。
アメリカのある精神分析学者の精神生活に関する調査に対して、ひとりの黒人の女はこう答えたそうです。「わたしは働く時にはよく働く。椅子に腰かける時には、よく肢を繕ちつける。そして何か考えだせば、よく居眠りする」こういう人ばかりだったら、世の中は万商事がもっと簡単になるかもしれません。が、幸か不幸か、そうは行かないのであります。

毎年ジュネーブで関かれる知識人の国際会合において、昨年の秋の議題は、”現代の不安”についてでありました。一週間にわたって各国の学者がいろいろな面から創代的不安を分析してみたのであります。その中から興味ある説を拾ってみれば――

まずスイスの精神分析学者ド・ソーシュール氏は、フロイド的な精神分析は今や明らかに不充分なものとして破綻を見せてきたと述べ、またこの精神療法をあまりに重視して、そこにあらゆる問題の解決の鍵を見ょうとする現代の傾向に対し、普告を発しています。ただ分析を細かくしたからといって、悩める精神に教いを与えるとは限らない。また病的状態の分析ばかりしているうちに、それに先立って存在すべき健全な状態の何たるかを忘れがちになる。どうして病気になったか、その理由を意識させることによって、病人の精神に一種の平衡を取り戻すことはできる。しかし平衡を取り戻したからといって、必ずしも誤謬や悪に対して免疫性を受けるものではない。結局、われわれは現代の不安を分析することによって、いかなる段階を経てこの状態に陥ったかを理解することはできるが、なぜ人間が、こうも強い不安の気持を感じるかという大きな問題は、依然として未解決なまま残るであろう、というのであります。

また、社会学者グルヴィチ氏は、次のようにいっています。現代人がこんなに神経衰弱になっているのは、政治に対する自己の無力を感じるからだ。つまりは異常に発達した技術に対し、古い政治制度が釣合いがとれていないからだ、と。
これに対して歴史家のミルセア・エリアド氏は「不安はなにも現代に始まったことではない。特にいちじるしく現われただけで、実はどの時代にも、東洋西洋の相過を閥わず、認められたものである」と指摘しています。
次に、哲学者リコール氏は、純哲学的見地から、不安と恐怖とを区別して、説明しています。恐怖は常にはっきりした一定の対象を前提とするものである。これに反し不安は、不確定な全般的な、しかも打ち勝ちがたい脅威に対して生じるものである。不安はわれわれのこの世に在るという事実から生じる。なぜわれわれはこの世に在るのか?もし死というものが単なる永眠にすぎないなら、なぜ怖れる必要があるか?あるいは今までのすべての謎が解けるような、新生命への移行であるのか?それならばどうして心配することがあるか。……してみると、不安の真の理由は、死の怖れではなく、現世の生命の意味、この人生においてわれわれのなすべき事の探究への促しにあるのだ、と結論しています。

ところで、フランソア・モーリアックは、それに対してまた――いうまでもなく、不安は現代に始まったものでなくして、思考する人間と共に始まったものであり、常に存在したものである。しかし、十九世紀はキリスト教を排撃して、人生に不安を持ち込んだものであると非難したけれども、キリスト教を卒業したかのように称する二十世紀人は、もっと不安に満たされているではないか――といって、現代の増大する不安は、人類社会の全面的な物質化の結果であることを、暗示しています。

最後に、先のフランス首相ロベール・シューマン氏は、特に現代ヨーロッパの情勢を諮って――今のヨーロッパ人は、自分の造り出した政治形態の緩雑さに圧し潰されそうになっている。個人は集団の操り人形になったことを感じる。国家はますます暴君的なものとなる。傾きかかった西欧文化は、全世界に弘めた思組や希望に対して責任を負わねばならねと説いて、今の状態を切り抜ける策として、経済機櫛の再編成、人聞が機械に仕えるに非ずして機械が人間に仕えるべきであるとの思組の普及、古い国と新しい国との提携、などを主張しています。また多くの省が政治に対する信頼を失っていることは事実だ。しかし、だからといって政治家などは不.裂だとは離もいえまい。必要なのは「政治家の改心である。利己的なつまらぬ野心の奴隷とならぬことである」との嘗侍を発し、要するに現代の不安の治療法は、道徳心の復活にある、と結論をドしたのであります。

これら現代の知性を代表する人々の意見について批判はいろいろありましょうが、ともかく、洋の東西を問わずすべての考える人間にとって、思索のヒントを与えるものではないかと思います。
昨年フラシスで百年祭の行われた略史家フレデリツク・オザナムは、将来の社会不安を予司して、後代に残す遺言ともいうべき次のような味わい深いまた心うつ忠告を書いています。
「富と貧困との激しい対立は、すでにわれわれの足もとに、そのますます切迫する震動を伝えている。来るべき衝突は到底避けられないものとみえる。かかる脅威に面して心ふる者は何を伝すぺきか。まさに衝突せんとするこの二つの物の閲に自切の身を投げ入れることだ。この耐者の間に挺身することによって、衝突は避けられないまでも、その怖ろしい打撃をいくらか柔げることはできるではないか。必要なのは両方の側が一つの真理を納得することである。すなわち、要求する者は要求することを止め、与えることを桓絶する者は、担絶することをやめるということである。この真理を循にして、頑固な両陣営の間に意識的に身を挺する人こそ、偉大な調停者である。打撃を身に受けることはたしかでらるが、衝突の後に何かうるわしいものが芽生えて来るとすれば、それは打撃を甘んじて受けた者の汗と血に養われたものであるかもしれない。
人間の心は冷たい数学的な正義だけで満たされるものではない。黄金の力と失望の力との間に行われる戦いは、たしかに容赦ないものであろう。黄金の陣営に参加する者も失望の陣営に参加する者も、憎しみに身を鎧い、非人間的な態度をとるようになる。金と鉄の冷たさが支配しようとする時代を救うものは、人間味の混かさである。現代人に与えられた使命として最も崇高なものは、冷酷な心を捨て、自分の人間味の洞かさと柔かさをもって、いがみ合いぶつかり合おうとする人々の聞に立つ勇気をもつことである。」
まことに憎しみは破壊的なものであって、憎しみと闘争によって社会問題を解決することは不可能であります。憎しみと争いは、人聞をますます悲惨な状態に導き、社会を収容所に化してしまうのであります。

結局、現代人を不安から解放する唯一の方法は、一言にいえば、相互いに人間味を尊重し、それを閉すように努めることであります。そしてそこに有意義に生きる別・聞を求めることであります。
この混沌たる現代に生き、もっとも確実に不安から解放される者は、自己の現在の生き方が、無駄ではなく、ささやかながら社会のために役立つ意義あるものだ、との確信をもっ者でありましよう。

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