希望について

「明けましてお目出とうございます」……とか、「ハッピー・ニュー・イヤー!」というように年の始めにあたって、お祝いの言葉を交換する習慣が出来たのは、いつ頃からのことでじょうが?
それをはっきり知ることはなかなか難かしいようであります。おそらく、人聞の世界に暦というものが出来て以来、年の始めは祝われたものと思いますが、一年のどの日をもって年の改まりとするかということは、国や時代によってまちまちだったようであります。エジプトやフェニキヤでは、長い間秋の彼岸をもって、年の変わり目としていたようであります。また、例えば紀元前五世紀までのギリシャでは、十二月二十一日に、新年の祝いをする習慣であったのに、紀元前四三二年には、どういうわけか、それを六月二十一日にきめているのであります。ともかくヨーロッバにおいて年か始めが一月一日とはっきりきまったのは、ようやく紀元五六七年になってのことらしいのであります。 なんにしても、一つだけすべての国に共通していることは、年の変り目には皆騒ぎたくなったらしいことであります。ローマ人の行なったサツルニア祭というのも、一種の忘年会あるいは新年宴会とみなしてよいでしょう。十二月十六・十七・十八と三日間にわたって行われたこの祭の期間には、ただのドンチャン騒ぎだけでなく、面白いことが見られました。それはこの間だけ、主人と奴隷とが役割をとりかえて、奴隷が主人の着物を着て納まり、主人が、奴隷のいう通りにサービスするのです。つまりすべての人が幸福であったサテュルヌの黄金時代を偲んで、せめて一年に一度ぐらいは皆が平等に楽しく暮らせるように、という気のきいた思い附きによるものでしょう。

しかし新年に互いの幸福を祈るということが一つの儀礼と定まったのは、なんといっても近代のことであります。一五・六世紀の、人文主義が盛んになって来たころエラスムスの書いたものなど見ると、教養のある閑人たちは、新年にあたって、古いラテン語やギリシャ語などで、一生懸命こった文寧を作り上げて、友人たちに贈っていたことがわかります。このあたりが今の年賀状の起原となるわけでしょう。しかしラテンの諺にも”Assueta vilescunt”――度重なれば品落ちる――というように、時代がたって度々繰り返されるにつれて、値打も落ちて来たようで、この頃では気取った文句を考えるどころか、ニつ三つのお定り文句を、それも自分で書く手問を省いて、印刷されたものなどを贈るようになってしまったわけです。
つまりは人類全休がだんだん年を取るにつれて、新らしい年を迎えることにもそれほど興味も期待も抱かなくなり、ものぐさになって来たのと、もう一つはスピード時代の影響で、悠長な祝いの言葉など書き並べている暇がなくなったせいかも知れません。たしかに私のところに頂く年賀状などでも、昔は「新玉の年の始めの……」から始まって「目出度く申し納め候」とまで、一息に読み下せないような鄭重な文面がよくあって、なんとなく悠長なのんびりした感じがしたものですが、この頃では「賀正」というようなたいそう簡単な、読むというより一と目で見て取れるような文句が多くなって来ました。

それはともかく、むかしむかし或る時代には、たくさんの人が新らしい年を、喜び踊らんばかりに心から歓迎した時がたしかにあったのであります。この速い時代のことを思うと、私はいつも面白い連想で、普の先生の一人のことを思い出すのであります。この方は日本人で、私が日本に参ったばかりのころ日本語の手ほどきをお願いした先生であります。静岡のほうで漢学者として知られていた方ですが、なかなか広い学識の持主であり、また気持の広い鷹揚な人柄で、固苦しい漢語ばかりでなく、変体仮名のくずし方や、「お刺身に一本」というような粋な言葉から、謡曲や落語の一節まで教えてもらったものであります。

ところでこの先生は若い頃カトリかクの洗礼を受けたのでありをすが、珍らしい霊名をもっていられるので、私はその由来を一度尋ねでみたことがあります。需名というのは、御承知のように洗礼を受ける時あやかりたいと思う聖人を選んで、保護者としてその名を洗礼名として戴くので、大きくなってから洗礼を受ける場合はよく自分でその名を選ぶのであります。で、この先生は洗礼の時に、どういう名前にするかと司祭に尋ねられて、自分はモイゼという名にしたい、と答えたのであります。相手の神父様は篤いて、モイゼなどという洗礼名はあまり聞いたことがない、なにもそんな大昔の旧約聖書の聖人をとらないでも、もう少し身近な普通によく保護者と仰がれるような人にしたらどうかと勧めたのですが、先生は、いやどうしてもモイゼでなければいやだど頑張り通したのだそうです。でその理由はというと、人類の膝史始まって以来、政治家としても解放者としても、立法者としても、社会学者とレても、このモイゼほど――ヘブライ民族をエジプトから救い出して幸福な国民生活の基礎を築いたこのモイゼほど――億い人物は見当らないからだ、ということであります。
どこが特にそんなに気に入ったかというと、モイゼが五十年毎に大敵の年というのを法律できめで、実行させたことだ、というのであります。すなわち五十年毎に恵みの年が廻ってくるわけで、この年には貧乏な者は借金を返すことを免除されるし、人手に渡った田畑も返される、奴隷も自由の身になれると定められたのです。少くとも五十年毎には富の不均衡をならし少しでも不公平を減らすように考えてある、これは実に史派な法律であると、若い先生は非常に感激したのだそうであります。
なるほど、もし今の世界にこの人情味ある法律が行われだなら、世の中の板端な悲惨は影をひそめ、多くの社会問題も解決されることかむ知れません。ともかく、この恵みの年に当った新年は、心から目出度いと多くの人が祝ったであろうことはたしかだと思えるのであります。もちろん、金貸や質屋のような人々はあまり目出度いと思わなかったでしょうが、明日食べる物に困らぬ以上、まあ諦めはついたことでしょう。

人類社会が進歩して世の中が複雑になりすぎ、こういう単純なやり方が適用しなくなってきたのは、喜ぶベき現象でしょうか、悲レむべき勤象でじようが?いまのわれおれの生活は非常に複雑になったけれども、来る年来る年というものは毎年たいして変りもない、暦と自分の年令に数字が一つ増えるだけの、単調なものとなってしまったのであります。新しい年の見通しといっても、たいして明るい、景気の良い舗があるおけでもないのであります。

しかし、それにもかかわらず、新年お目出度うという言葉を、心にもなくいやいや口にするという人はやはりないのであります。それはやはりすべての人の心に「今年こそ……」という意気込みにならないまでも、何か新たな希望が湧いてくるからでありましょう。
人は希望なしに生きることは出来ない、といわれます。もうすべての希望を失ったというような者でも、なるべく苦しみたくはないという希望は持っているものです。どうせ希望なしにいられぬものなら、消極的な情ない希望でなしに、しっかりした積極的な希望を持ちたいものであります。
もちろん、人によりまた年令によって、希望の種類も多少異るものです。働らき盛りという壮年やあるいは老年期の希望は、経験と叡智にもとづいた穏かなものですが、若い者の希望は熱烈で活気に富み、容易に外部に表われるものであります。それでいて若い人は、他人に自分の希望に就いて干渉されることを好まないのですが。経験に乏しい点からいっても、良い意味でも悪い意味でも、社会民影響を汝ぼすことの多い点からいっても、特に若い世代の方たちのために、新春の希望を新たにするに就いて、参考となる一言をお贈りしたいと思うのであります。

若い人はどうしても新しいものに惹かれ、とかく過去むの繋がりを断ちたがるようであります。しかしペルグソンが言ったように、われわれの現在に重みを与えるのは過去の目方なのであります。この句をいろいろな意味で味わっていただきたい。また人間性というものは、時代が進むにつれて変るようなものではありません。たとえば二千年前のギリシャの哲人アリストテレスの青年を論じた文章を読むと、非常に興味深く考えさせられるところがあります。ほんの少しばかり引用してみましょう。
「青年の特徴は欲望に満たされていることである。しかしその欲望は変りやすい。はっきりした意志は持っているが、病人の感じる飢えや渇きのように、力と持続性が欠けている。彼等は金銭よりも名誉と勝利を好む。また瞞された経験に乏しいところから、信頼に富んでいる。簡単に希望に身を打ち任せ、酒のようにそれに酔うことが出来るのは、まだ失敗の苦味をあまりなめぬからである。彼等が希望によって生きるのは、希望の唯一の対象が未来であるから。人生の出発点においては、思い出すものはなく期待するものばかりだからである。行動にあたって、彼等は有益なものよりも美しいものに魅力を感じる。彼等が思いことをする時も、それは感意によるより一種の生意気、倣岸不遜によることが多い。彼等が憐れみ深いのは、実際以上に他人を良い者ばかりと思っているからである。自分の善意をもって他人を計るので、自分の目撃する術みは皆不正不公平なものだと思いこむ。―――」

大体こういう調子ですが、こかで見ると、二千三百年前アテネの町を澗歩していた青年と今の銀ぷらをしている若い人たちとの間には、大した違いはないような気がするのであります。
ごのアリストテレスの記述には、短所よりも長所が多く描かれています。私の希望するところは、若い方々がこの古いギリシャの鏡に自分の姿を見直して、その長所をよく生かし自分と周囲の者及び日本の前途を幸福なものとなすような行動へと、その大きな希望の力を向けられんことであります。

おススメ会社設立セット

  1. 店舗販売最安レベル9,800円!会社設立印鑑3点セット(柘植)

    ※通信販売は行っておりません。
  2. 会社設立センター・起業家応援パック

    会社設立・起業家応援パック(司法書士+税理士)まとめて頼む=とってもお得な起業家応援パッ...
  3. 会社設立ブランディングセット

    せっかく開業した貴方の法人、告知やご案内は、終了していますか??「会社設立ブラン...